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▼  立教中高の歴史

▼  立教中高の歴史

このページは、まだ随筆途中です。また、年月日は実際と違う可能性があります。

創立者
立教学校
学政改革
立教中学校(旧)
立教学院

創立者
ウィリアムズ主教
立教学校
1874年(明治7)〜
学政改革
1887年(明治20)〜
立教中学校(旧)
1891年(明治24)〜
立教学院
1899年(明治32)〜
 
このページは、まだ随筆途中です。
今後、原稿を追加していきます。
 
また、複数の資料を参照しておりますが、資料によって年月日などの表記に矛盾のある箇所があります。
年月日など、実際と違う可能性がある事を予めご了承ください。

立教学校
立教の創立

東京での住居探しは、思いのほか苦労し、短期間に何度か移転した後、詩人ヘンリー・ロングフェローが子息のためにたてた家を借用しました。ここが築地の外国人居留地だったのか、内外人雑居地だったのかは、確定されていません。
ウィリアムズ主教は東京に来てわずか3ヶ月後、ここでブランシェーと二人で(クーパーも後から参加)私塾を開きました。
1874(明治7)年2月3日、これが今日の立教学院の創立となります。(校長はブランシェー)
名も無い私塾は5人とも8人とも言われている生徒数から始まり、単にボーイズスクールと呼ばれていましたが、4月には生徒は30人ほどに増えていました。授業は、聖書と英語の2つでした。
立教創立の年、中国と日本の両方の主教をつとめる事に限界を感じていたウィリアムズ主教は、かねてからアメリカ聖公会に日本専任の主教を置く事を求めていましたが、それが認められ、「江戸監督(主教)」となりました。当時は主教とは言わず、監督と呼んでいました。
その年の暮れから、新聞広告を出しており、築地入船町に五丁目一番地となっていることから、1年経たずに引っ越していることがうかがえます。
ウィリアムズ主教は寄宿制を熱望していましたが、創立時は通学制だったため、広いところへの引っ越しは、早くから計画されていました。
この私塾が、いつから「立教」と言う名前になったのかは、分かっていません。翌年1月14日のあけぼの新聞に、ニコライ堂と天主堂の学校と一緒に「立教学校」の紹介記事があり、創立1年後には、学校名も「立教学校」となっている事が確認できています。
ウィリアムズ主教は大阪の学校にも欠かせない存在であり、また、日本専任の主教になったとは言え、後任が決まるまでは清にも行かなくてはならず、かなり多忙を極めていました。
また、女性教育も力を入れていきます。1875(明治8)年、大阪ではアメリカ聖公会から派遣され、学校を手伝っていた女性教師E.G.エディを校長に女学校を開いています。(のちに日本で初めてセーラー服を制服に採用した平安女学院)

立教学校の中断、第一次学政改革

1982tsukiji_38_391876(明治9)年11月29日入船町の学校、住宅、礼拝堂は大火により壊滅状態となり、立教学校はわずか2年で中断してしまいました。
中断している間、ウィリアムズ主教は翌年、入船町の住居に自ら校長となり三一神学校を、さらに深川に聖三一教会を竣工、クーパーには神田基督教会を竣工さえ、ブランシェーには湯島に立教女学校を開校させ、東京での女子教育を始めました。 1878(明治11)年11月、聖テモテ学校の教師J.H.クインビーが上京、立教を私塾から再スタートさせ、半年後1879(明治12)年6月、京橋の日本家屋で本格的に再興しました。 しかし、12月には再び火事があり、校舎は無事だったものの、ウィリアムズ主教の家が焼失しました。
1880(明治13)年8月。体調の悪化によりクインビーが帰国、ウィリアムズ主教は、度重なる校舎の損失から、アメリカ聖公会に建築家であり、文学と科学に造詣の深い人物派遣を要請しました。そして、10月、新たにハーバード大学卒業の若い建築家J.M.ガーディナーが校長兼教師として来日しました。
ウィリアムズ主教は、その頃から1882(明治15)年にかけて、居留地に米国人信徒からの寄付と私財で土地を購入していました。
アメリカ聖公会からの建設費支出の連絡があり、この土地にアメリカのカレッジのように立派な施設群を計画しました。
1882(明治15)年6月英名を「セント・ポールズ・スクール」とし、年末にはガーディナーが設計した、ゴシック風レンガ建て総三階の豪華な新校舎を完成させました。これにともない立教学校は閉校、「立教大学校」を新設しました。この校舎は、三階が寄宿舎になており、三一神学校との併用でした。これを立教の第一次学政改革と言っています。
1882年築地に移転していた立教女学校も1884(明治17)年、ガーディナー設計の校舎を新設し、聖三一大聖堂、宣教師館、三一神学校などの立教の関係の洋風建築群が次々と施設が建設されていきました。 なお、ウィリアムズ主教は、1889(明治22)年にさらに土地を購入し続け、また後継者のマキム主教も1893(明治26)年に購入をすすめ、最終的には築地居留地の約4分の1を立教と三一教会の関係施設で占めていました。  
※イラストは、築地居留地の立教の洋風建築群